2012年1月31日火曜日

ウコギなやつら


今日の写真、これは何でしょう?

昨日のヤツデと似ているなぁと思った方はスルドイ。

残念ながらヤツデではなくて ツピタンサス Tupidanthus calyptrapus という東南アジア熱帯雨林原産の観葉植物である。

そしてこのツピタンサスもヤツデ同様ウコギ科である。

ははーん、だから似てるんだなと思うと面白い。
ヤツデのように葉が手のひらのような形(掌状)に裂けていないけど、遠くから見ると葉の雰囲気はとても似ている。
色、触感、つやなどかなり似ているのが分かるだろうか。

似ているのは外見だけではない。

東南アジア熱帯雨林ということは、ジャングルのように鬱蒼と木が生い茂り太陽の光は地面にはあまり届かないような場所ということになる。

その乏しい光を最大限に浴びるためにツピタンサスもまた葉をうまい具合に広げているのだ。

その葉っぱの様子は昨日のヤツデの様子と酷似しているでしょ。

このツピタンサスの上の部分と下の部分に葉が集中しているのが分かるが、その間が空いてしまっている。

ちょうどその間に小さな葉が2組芽生えているのが分かるだろうか?

恐らく間が空いてしまって光を受け損ねていると思って、ここに新たに葉を繁らせることにしたのではないかと思うのだ。

ツピタンサスに直接聞くわけにもいかないのでなんとも言えないが、なんとなく当たっている気がする。


仮にそうだとすれば、それってスゴクない??


2012年1月30日月曜日

ヤツデの驚くべき工夫


これはなんでしょう?

そう、ヤツデ Fatsia japonica といってウコギ科の植物であります。

それは誰にでも分かるし、ヤツデは今更珍しくもない。

でももっとジックリとこの写真を見てみて欲しい。
写真がボケているが、あまりその辺にはこだわらないで見てみると何かに気付かないだろうか。

ヤツデはそもそも半日影もしくは日影でも元気に育つ耐陰性を持っている。

気付いて欲しいのはこの日当たりと関係がある。

ジックリと写真をみるとヤツデの葉っぱが大きく手を広げたかのようになっているのに気付いた方はいるだろうか。
しかも葉と葉があまり重なっていない。

つまり太陽の光が乏しい場所で生き抜く知恵としてヤツデは大きめの葉をもち、それを異なった柄の長さでそれぞれの葉が重ならないように調整して、乏しいながらも日の光を最大限に受け止めようという工夫が見られるのだ。

そういう解説のあと改めて写真のヤツデを見てみると確かに葉が絶妙な位置を保っているのが分かる。

葉が重なっていないというのは、自分がお日様の視点に立たなければダメですよ。
彼らは日の光を受けようと工夫しているのだから。

そうやってみると、地味で珍しくもないヤツデだがちょっと見る目が変わるのではないだろうか。


2012年1月29日日曜日

空き地の風景


今日は冷たい風が吹いて底冷えのする一日だった。

都内で雪が降ったのは先週の火曜日だったか。
そろそろ一週間経とうとしているのに、まだ残雪を見掛ける。

とある空き地では太陽の光が射していて、建物によって作り出された影がまっすぐな線を描いていた。

その直線に沿うように白い残雪がまばらに残っていた。

こうやってみると改めてお日様の力は偉大だと思う。
日のあたる場所では雪が降った翌日には雪がなくなっていたが、交通量や日陰の程度によってまだこうやって雪が残っているのだ。

例えばこの空き地に家を建てたとして、庭を作ったとして、この雪が残っているところに日なたを好む植物を植えてもうまくいかないということになる。
その境界線をこの影と雪が明瞭に示している気がする。

この境界線は季節によって変化することも念頭におかねばならない。

実は最近とある場所で植栽の仕事をした。

ふたつの花壇にはそれぞれ同じものを同じ数だけ植えた。

ひとつの花壇のほうが日当たりが良く、植物の生育も良くて花つきも良い。
ところがもう一方の花壇は日当たりがもうひとつのそれと比べるとやや悪くて、生育も思わしくないし、花つきも良くない。

お互いの花壇はたかだか1メートルくらいしか離れていないのに。

そんなことがあって、最近植物と日当たりの関係について改めていろいろと考えている矢先に見かけたのが、この空き地の風景だったというわけだ。

植物も生きようと必死だし多少の日陰だってめげない、そう思っていた。
たしかに多少の日陰だからといって枯れてしまうようなことはない。
でも、植物の持っているポテンシャルを十分に引き出してあげるためには、その植物のこのむベストの環境を考えてあげることが大切なんだなぁ、などとごく当たり前のことを考えてしまう空き地の風景でありました。


2012年1月28日土曜日

ホラーな造花


最近は屋上緑化、壁面緑化と緑化ばやりで、それはそれで良い事だと思う。

屋内でもいわゆる観葉植物なんかがいたるところに見受けられるようになった。

この場合二通りのものが考えられる。

ホンモノの観葉植物を使う場合。
そしてニセモノの観葉植物を使う場合。

ホンモノは当然メンテナンスが大変だ。
水はやらねばならない、肥料も時折やらねばならない、生長するので剪定などもせねばならない、ムシがつくかもしれない、病気になるやもしれない、などなど。

それでもホンモノのよさは確かにある。

一方でニセモノの良さは、上記のホンモノの短所のほぼ逆であること。
水、肥料、剪定不要、ムシ、病気心配なし。

でも質感はホンモノに及ばない。

最近はニセモノもかなりクオリティが上がってきて、一見して区別がつかないものもある。

しかし100メートル離れていてもニセモノであると識別できる粗悪なものがあるのも事実。

この前は某ビルのエスカレーターに乗っていたらば踊り場に緑が見えた。
「あっ、ニセモノね」とすぐに分かったのだけど、近くを通り過ぎるときにそれを間近にみてギョッとした。


どうやら枝というか幹は元ホンモノを使っているらしい。
元ってことは、枯れ枝ってことね。 

その枝にドリルかキリのようなもので穴を開けてニセモノの緑の枝葉を差し込んであったのだ。

サカナくんではないが、思わずギョギョッ!!と叫びそうになった。

どう受取るかは人それぞれだとは思うが、僕にはなんというかとてもホラーな絵に見えたのだ。

こんなニセモノだったらいっそ無いほうがよっぽど気が休まるんだけど・・・。



2012年1月27日金曜日

凍傷


いやー寒いですねぇ。

雪が降ったあとが特に寒い気がします。
道端の残雪はカチンコチンに氷の塊として鎮座している。

植え込みをみると霜柱が立っていた。

これは寒い。

寒いと思っているのは我々だけではない。
一部の植物たちにとっても辛いはずである。

一部と限定的なのは、この程度の寒さはなんともないという逞しいやつらがいるからだ。

当たり前だが、寒さに弱いのは南方からやってきた植物たち。
とくに葉っぱや茎が瑞々しくて柔らかいものは寒さの影響を受け易い。

瑞々しいってことは葉っぱの中には水分を豊富に蓄えていて、柔らかいってことは外気温の影響をモロに受けるからである。

今日見かけたのは鉢植えのスパシフィラム Spathiphyllum
そもそも南米の熱帯地域にあるものなので、この寒さはまさに想定外だろう。


見ると葉がダラリと垂れてしまっている。
一部は茶色に変色してしまっている。



これは水を蓄えた細胞部分が凍結して組織が壊死してしまったためだと思われる。
いわば重度の凍傷である。

こうなるとこの葉っぱは復活することはないと思う。
根が生きていればまた新しい芽をふくことはあると思うけど。

なんでこんなに寒さに弱いものをポンと外に置いてあるのだろうか。

無頓着にもほどがあるゾ。



2012年1月26日木曜日

花咲的発見の御報告


アカザ科のシロザ Chenopodium album
アカザ科のアカザ Chenopodium album var centrorubrum
という似通った名前の植物の話を書いた。

昨日のブログを書いたあと、自分で書いたものをぼんやりと眺めていてハタと気付いた。

学名の種小名 album はラテン語で 「白い」 という意味がある。
シロザは上の写真のように全体に白い。
特に葉の裏側は白い。

では下の写真はどうだろうか?


おおっ、なんとなく赤味がかっているではないか。
ってことは・・・・

と、これをアカザと思った方は早合点である。

実はこれもシロザで、シロザが生長していくと赤味を帯びてくるのだ。
なんとも紛らわしい。

雑草としてあちこちで見られるものの多くはシロザなのだ。

ではアカザはどこがどう赤いのか?
写真がなくて恐縮だが、葉の中心を流れる葉脈のなかの主脈が赤いのだといわれている。
それと花のつぼみ、若い葉のつけね、茎の根もとなんかも赤い。
単に赤いのではなく、かなり鮮やかに赤い。

となると葉の真ん中に赤い線が1本あるようなイメージだ。

ハタと気づいたのはココ。

アカザの学名で変種名(var 以下部分) centrorubrum に着目してみると、
centrorubrum に分けることができる。

そしてここからは推論だが、
centro は英語でいう centre すなわちセンター、真ん中、中心という意味で、
ruburum は、赤いという意味ではないだろうか。

ラテン語で ruber が 「赤」 という意味であることは知っていたのでかなり良い線をついていると思われる。


前述のごとくアカザは葉脈の主脈が赤いのが特徴であるとすれば「センターが赤い」という学名は大いに頷けるのである。


これにハタと気付いて一人で大きく膝を打った。


この発見を誰かに伝えたかった。
というわけで今日のブログは昨日に続いてアカザ、シロザのお話でありました。



2012年1月25日水曜日

アカ?シロ?


昨日はアオダモ、シロダモという似たような名前の樹木について書いた。

今日はその続編とでもいえば良いだろうか。

所は甲州街道。
車がひっきりなしに通る主要幹線のひとつである。

交通量が多いということは、それだけ排気ガスにもあてられて植物の生育環境としてはかなり厳しい場所である。

そんなことは意に介さず元気に育つのがいわゆる雑草の類である。

たとえばシロザ Chenopodium album (アカザ科)もそのひとつである。

英国でも一般的な雑草で、ちょうど植物の学名の授業で先生が
「これは食えるのデス」
といって地面にはえていたシロザをおもむろに口に放りこんだのを見て
「なんてワイルドなんだ、カッチョええっ」
とシビれたことを思い出す。

冷静に考えれば、シロザが食べられるってのもそんなに不思議ではない。
ホウレンソウ Spinacia oleracea もアカザ科の植物なのだ。
僕もワイルドな先生にならってシロザを食べたことがあるけど、今にして思えばホウレンソウっぽい味といえなくもない。

話がちょっと逸れた。

シロザに似た名前の植物があるんですな、実は。
その名もアカザ Chenopodium album var centrorubrum というもの。

昨日のアオダモとシロダモはモクセイ科とクスノキ科で似ても似つかない間柄だったが、
シロザもアカザも同じアカザ科だし、学名も Chenopodium album ということころまでは一緒。

var というのは variety すなわち変種ってことなのでアカザもシロザもほぼ同じと言ってもいいだろう。

ややこしいのはアカザ科のアカザとアカザ科のシロザがあるってこと。

「はいっ、僕はアカザ科のアカザです!!」
「はいっ、わたしはシロザ科、いえ、アカザ科のシロザです!!」
なーんてね。

アカなのかシロなのかハッキリしろ(白)と言いたい。

 

2012年1月24日火曜日

アオ?シロ?


降りましたね、しっかりと雪が。

昨晩ブログを書き始めたころはまだ雨だったのに、書き終えてアップする頃にフト外に目をやったらば銀世界になっていて驚いた。

雪が降って嬉しかったのは子供の頃で、オトナとなった今となっては気が滅入るばかりである。
ダイヤは乱れ、交通機関は麻痺し、歩くにも滑りやすく危険だし、外仕事においてはスケジュールを組みなおさなくてはならない。

フカフカの雪ならまだしも、凍った雪を踏む音がなんとも寒々しくて嫌になる。

しばらく日陰の雪は残るのではなかろうか。

さて話をガラッと変えて、今月13日のブログで花壇に植えられた苗とそのラベルで勉強になる、なんて話を書いた。
そのときに載せた写真に シロダモ というものがあったのだが覚えているだろうか。
というか、13日の花咲ブログをちょっと見るのが早いかと思う。

シロダモ Neolitsea sericea はクスノキ科の常緑樹である。

これと名前が良く似ていて間違えやすいのが

アオダモ Fraxinus longicuspis (ヤマトアオダモ)である。
アオダモはモクセイ科なので、クスノキ科のシロダモとは似ても似つかない別物である。

でも 「色」+「ダモ」 なので、
「あれ?シロダモ?アオダモ??」
と混乱してもおかしくない。

アオダモは野球の木製バットの原料として知っている野球ファンも多いのではないだろうか。

さらに、アオダモの枝を折って水に浸けておくと水が青い蛍光色になるというのは一部の人に良く知られている。
実際に試したことがあるけど、なんとも神秘的な淡いブルーになる。

今日の写真はヤマトアオダモの実。
これは翼果といって、カエデのタネのように風にのってクルクルと飛ぶことで種子散布されるタイプのものだ。

シロダモの写真はあいにく手元になかったので、今回はお話のご紹介まで。

また機会があったらばシロダモもご紹介しよう。

青?白?
うーん、困っちゃうね。





2012年1月23日月曜日

クリスマスカクタス


このブログを書いている今、外を見ると雨が降っている。
なにやら今夜から雨は雪へと変わり、東京でも積雪の見込みなんだとか。

ついこの前、カラカラ天気について書いたばかりで、ちょうど良いお湿りといったところだろうか。

さて話題はチトずれるが、クリスマスの頃に花屋さんで見かけたのはポインセチアとシクラメンだった。
クリスマスを象徴する商材(花屋さんにとって)なんだと思う。

でも忘れちゃいけないのはこのシャコバサボテン Schlumbergera spp だ。
なぜならば英名を Christmas cactus というから。

クリスマス・カクタス、つまりクリスマスのサボテンということになる。

これはクリスマスの時期に花をつけるからついた名前であるといわれている。
そしてシャコバサボテンというだけに、サボテン科の仲間だ。

でもシャコバサボテンっていわゆるサボテンというイメージとはやや離れている気がしないか?
形状的にもいわゆるメキシコで見掛けるような典型的なサボテンとは違うし、なんといってもトゲがない。

トゲがないサボテンだなんて、クリープを入れないコーヒーのようなものだ(古いっ!!)。

さて昨日、さりげなく 「実践、楽しく学べる園芸英語」 の宣伝を入れてみたが、今日もちょっとだけ。

サボテンを英語でなんというか?

そう、上に書いたように cactus カクタスと言います。

では、複数になると?

意外なことに cacti カクタイと言うんであります。カクタセスではないんですね。

これと同じ発想なのがキノコなどの菌類 fungus ファンガスで、複数形は fungi ファンガイとなる。

イタリア語でもキノコのことを fungo というらしいので、とにかく覚えておけばイタリアンレストランはもちろんのこと、フランス、スペインなどラテン語をベースにしている言語圏のメニューはだいたい想像がつくという便利さである。

覚えておいて損はない。




2012年1月22日日曜日

図書館児童書コーナーへ行こう



1月22日。
2012年になって22日経つわけだ。

もちろん正月気分などはとうの昔で、新たな年の新たな目標に向かって日々過ごしている・・・・はずである。

年初に目標を掲げた人も多いだろう。

僕は仕事、家庭、健康、教養などそれぞれに目標なるものを設定してみた。
本をたくさん読みたいというのも目標のひとつである。

本屋さんで買う本ももちろんあるが、あなどれないのが図書館である。
新しい人気の本も借りることはできるが、順番待ちだし、早く返さないといけないという焦る気持ちがあまり好きではないので、そのあたりは買うことにしている。

むしろ 資料 としての図書館はとても魅力がある。
昔に絶版になってしまったような貴重な本でも普通においてあることがあるし、最近はデータベース化が進んでいて膨大な資料のなかか自分の求めているものをピンポイントで探しだすこともできる。

図書館の有益性を知ってからというもの、国会図書館をはじめとして複数の区で登録をして必要に応じて使い分けている。

もちろん主に見て回るのは植物や庭のコーナーである。
そして侮れないのが子供のコーナー。

子供のコーナーで見つける植物の本たちは、分かりにくい概念を優しい言葉で絵付きで解説しているものが多い。
色んな発見があるものだ。

今日の一番上の写真は英国で入手した THE VISUAL DICTIONARY OF PLANTS という子供向けの写真が豊富な辞書(?)であります。
これは植物について双子葉、単子葉など分類しながら、根・茎・葉・花など部位ごとに、必要があれば分解して解説をつけている。

植物的には基本をおさえながらも、なかなか高度な内容となっている。
わずか本文部分が58ページしかない薄さという手ごろ感があるが、内容はかなり歯ごたえがある。

それが全て英語で書いてあるわけで、植物のことを英語で学びたい人にはオススメ、なんてことを
でも紹介している。

英文原書も最近はイギリスの本屋さんでなかなか見つけられなくなり、これを入手したときはとても嬉しかったことを覚えている。

そしてこの前、図書館に行ったらばなんとこの日本版が無造作においてあったのを発見したのだ。



へぇーこんな本があるんだ。

ちょっとしたオドロキだった。

中を見るとあたりまえだが原書そのもので、英語が全て日本語になっている。
日本語で見ると改めてかなり高度な内容であることが分かる。

監修者は村田源さんという元京都大学理学部講師の方らしい。

本の外観が薄くて優しそうなのに、実際に翻訳してみるとずいぶん手強くてげっそりしてしまったのではないか、なんて想像してしまう。
まぁ京大理学部ならそんなことはないか。

とにかく今日申し上げたいのは
  * 図書館はいいゾ
  * 児童書はいいゾ
ってことであります。



2012年1月21日土曜日

嫌いなものを克服せよ


相変わらず寒い日がつづく。

そんなときには暖かい鍋を囲むなんてのはいいよね。
気のおけない仲間と楽しく鍋をつつけば身も心も暖まるってものだ。

今日は鍋ではなく茶碗蒸しを食べた。

これも好物のひとつだ。

とくに熱々の茶碗蒸しをハフハフ言いながら食べるのは本当に美味しい。

茶碗蒸しを食べるたびに思うのは茶碗蒸しとプリンの類似性である。
味こそ違えど見た目も食感も卵の味もとても似ている。
そうプリン好きであり、茶碗蒸し好きなのである。


でも茶碗蒸しに入っているギンナンだけは苦手で子供の頃は プッ と吐き出したり、スプーンで探してよけたりしていた。

あのちょっと苦味のある味と、ネチョネチョした食感が苦手だったのだ。

そうとう行儀の悪い子供だった。

今はいい年をしたオトナなので、嫌いなものを克服すべく挑戦しギンナンはむしろ好きな部類にまでなった。

子供のころには苦手だったラッキョウもまずまず食べられるようになった。

挑戦して、挑戦して、何度も何度も跳ね返されてしまうのが 「パクチー」 と 「ブルーチーズ」 である。

絶対にクチにしないのではなくて、好きになろうと努力をするのだがダメなのだ。
年齢とともに嗜好が変わっているかも、と淡い期待を持って挑戦するがダメなのだ。

あと何年生きるのか分からないが、死ぬまでには克服したいものである。

ブルーチーズは別として、ギンナン、ラッキョウ、パクチーは全て植物なので、植物好きを標榜する者としては、そこも克服したい理由のひとつかもしれない。


2012年1月20日金曜日

暑さ寒さ


降りましたね、雪が。

寒いのも困るが、最近はカラッカラッに乾燥していたので、ちょっとだけ救われた気がした。

でもこの程度では焼け石に水だろうなぁ。
乾いた土の表層部分に吸収されてしまって、植物の根まで水が届かないのではないだろうか。

ニュースを見ていてスゴイな、と思ったのは北海道旭川での気温がマイナス30度を下回ったということ。

最近はお風呂場で脱衣所との温度差によるヒートショックが原因の事故が増えているらしい。
お風呂のお湯の温度は41度以下のややぬるめに設定しましょう、なんてことを言っている。

ぬるめのお湯40度と旭川の今日の気温マイナス30度ではナント70度の差がある。

人間は70度の温度差を生き抜くことができるのかってあたりがまたオドロキだ。

エスキモーの人たちは僕らよりも寒さに強そうだし、アフリカの赤道直下にいる人たちは僕らより暑さに強そうだ。
我々日本人は突出した強さはなさそうだが、そうでもない。
日本の夏の蒸し暑さは世界中の多くの人たちには耐え難いものだと思うが我々はそれなりに適応している。

イギリス人は寒さに強く、暑さに弱い、さらに雨に打たれ強い。

真冬の寒風吹きすさぶ中、一部の女の子たちはヘソ出しファッションで涼しい顔をしていたり、身体の大きなお兄さんがTシャツいっちょで歩いていたりする。
その代わりに夏場30度にでもなろうものなら暑い暑いと汗をかきながらアイスキャンディーを沢山食べる。僕らからしたら30度といったってイギリスの夏は湿度が低いので快適そのものなのに。

イギリス人はあまり傘をささない。
というか滅多に傘を持って歩かない。
雨が降ればなんのためらいもなく濡れて歩く。
ちょっとならそりゃ良いだろうが、かなりの土砂降りでも気にせずに濡れて歩く。
雨に打たれ強い人種なのだ。

それらは植物たちにとっても同じこと。
当然、寒さに耐えられない、暑さに耐えられない、蒸れに耐えられない、乾燥に耐えられない、薄暗さに耐えられない、陽射しの強さに耐えられない、潮風に耐えられない、などなどそれぞれに弱みがあるし、その逆にそれぞれの環境に適応できる強いやつらもいる。

つぶさに見ていくと本当に面白いテーマだと思う。





2012年1月19日木曜日

ウリ科なやつら


とある店先で見かけたソウメンカボチャ。

つやつやしてとても光沢があるので、つい作り物かと思ってしまうが、これはウリ科の植物で Cucurbita pepo という立派な学名もついている。

なんでソウメンなのかといえば、茹でたのち実をほぐすとまるでソウメンのような繊維状になるからである。

このお店の説明によれば、
果肉が繊維状なので切ってゆでると、めん類のようにバラバラほどける。
三杯酢でサッパリと・・・
と書いてある。


実際にこれを注文して食べたわけではないので、なんとも言えないが、味そのものはかなり淡白なのではないかと想像する。

だから三杯酢などで味をつけるのではないか、と。

ウリ科の食材は我々のまわりに沢山ある。
トウガン、ゴーヤ、キュウリ、メロン、スイカ、カボチャなどなど。

こうやって列挙してみると概ね水っぽくて味は淡白なものが多いように思うがどうだろう?

さらに面白いのは全て実を食べるということ。

ウリ科の葉や根を食べるというのはあまり聞かない。

そうやって考えると 「×××科」 という分類をすると色んな共通項が見えてくる。



2012年1月18日水曜日

スノードロップ


木枯らし一号が吹くと冬だなぁと感じたり、サクラの開花宣言を聞くと春だなぁと思ったり、季節の節々に象徴的な何かがあるのではないだろうか。

それはその人それぞれに感じ方や感じるモノが違うだろうし、国や地域などによっても随分違うのだと思う。

植物というのはそういう季節の変化を敏感に感じ取って、然るべき時期に然るべき姿を見せるというのは本当に不思議であり偉大である。

例えばですよ、サクラの花が咲くというのは、サクラの皆さんがテレビやラジオを聴いて「千鳥淵が咲いたんだってよ、善福寺川の俺らもそろそろ咲いてみない?」と話合って、示し合わせて咲いているわけではない。
携帯やメールで連絡を取り合ってるわけでもなければ、時計やカレンダーを持っているわけでもない。

それこそ自然に咲くのである。

これには植物ホルモンが深く関わっていて、日照時間や気温、湿度などの変化によって彼らは花を咲かせる時期を知るのだとは思うが。

そしてその順番を基本的には遵守している。
アジサイが咲いたあとにソメイヨシノがようやく咲くなんてことは普通はない。

回りくどくなってしまったが、咲く花によって我々は季節を知る、と。

我々日本人にとってサクラ、とりわけソメイヨシノの持つ意味はとても大きいように思われる。
サクラが咲けば春到来と思うし、胸が弾むものである。

イギリスの場合はどうだろうか。

イギリスの場合は「球根」で春を知るというのは確かにあると思う。

春といっても一月ごろのまだ寒い時期にトップバッターとして咲くのはキバナセツブンソウだ。
そして続くのはスノードロップ、次にクロッカス、そしてラッパスイセンと球根類の花が次々とバトンを繋ぐように咲いていく。
アンカーを務めるのは5月上旬ころに咲くブルーベル。

ブルーベルを見終わる頃には本格的な春が訪れて気持ちの良い陽気となる。

僕は特にスノードロップ Galanthus が好きだなぁ。
白くて小さい花がなんともカワイイ。
緑の模様が入っていて、頭を垂れる様子はなんとも清楚な感じがする。

写真は2005年2月6日にキューガーデンで撮ったもの。
2月くらいには日も少し伸びて、こういう春を感じさせる光景が見られるようになる。

先日用事があって英国の友人に電話を掛けたのだが、スノードロップが既に咲き始めていると言っていた。
まだ1月も半ばだというのに。

季節の進み具合、季節の様子が微妙にズレはじめているのは何も日本に限ったことではないようだ。



2012年1月17日火曜日

命廻る庭


つい数日前に寒さが厳しいがために葉物野菜が育たずに価格も高騰していると書いた。

説明は間違ってはいないのだが、十分ではなかった。

気温が低いのに加えて、最近は雨がほとんど降らずカラッカラッだ。

冬季は植物の生育が遅くなるので蒸散を含めた水の消費は少なめのはずだけど、これはチト度が過ぎた乾燥である。

冬場とはいえ、植物の生育には適度な水分が必要なことはいうまでもない。

空気も乾燥しているので、鼻や喉の奥もカラッカラッになって風邪を引いている方も多いのではないだろうか。
どうぞご用心ください。

さて、冬は動物たちにとっても食糧が乏しくなる季節である。
昨日のクチナシのように、今の季節に赤く目立つ実を鳥たちは狙っているのだと思う。

リス、タヌキ、キツネ、クマなどはドングリを主に狙っているのだけど、最近はドングリも不作続きで食糧不足になったクマが里におりてくるなんていうニュースをよく聞くようになった。

世の中のバランスがあちこちで乱れてきているようで本当に不安になってしまう。

ときおり庭先の木の枝にミカンやリンゴなどの果実を刺しておいたり、脂身を刺しておいて鳥を誘うお宅がある。

こういうのは良いよね。

自分の家に色んな鳥がきて綺麗な声を聴かせてくれる。
なんちゅう贅沢。

それだけではない、鳥が糞をしたらばその中に何かの植物のタネが入っていて春になって何かが芽を出すかもしれない。
それが迷惑という場合もあるかもしれないが、ここは寛容にこういう偶然を受け入れて楽しむゆとりが欲しい。

さらに庭にいる毛虫などの害虫も捕食してくれることもある。
殺虫剤を撒き散らすよりも断然好ましいことはいうまでもない。

人間、植物、鳥、虫・・・ 庭先で命が廻り廻っていると思うと庭の果たす役割は大きいと気付かされる。


2012年1月16日月曜日

クチナシの実


クチナシの実について書いたのは一昨日のことだ。

あくまでも外観上のお話をしたに留まったのだけど、中はどうなっているのかという疑問が沸いてきた。

疑問があったらなら試してみるのが花咲ブログ。

早速クチナシの実をひとつ採ってきた。

まず気付くことは実がとても柔らかくてジューシーだということ。

樹になっている実を採ろうとつかんだところ、グニョっという感触とともに実の中から果汁が出てきたので、慎重にソフトに実を採取した。

家に持ち帰ってカッターでタテに切ってみると、皮も、果肉も、タネもすべて鮮やかなオレンジ色をしている。

中にあるタネを果肉ごと指でさらってみた。
例えるならソース煎餅に付ける梅ジャムみたいなカンジである。


さらに水で果肉を洗い流すとゴマよりは大きいが、小粒のタネが姿を現した。

なるほどねぇ、こうなってんのか。

クチナシの実の鮮明なオレンジ色、もしくは黄色をつかって栗キントンやタクアンの色を着けるなんてことも聞いたことがある。
手についた果肉を洗い流したらば、指先はすっかりとタクアン色に染まっていた。

タクアンにも使われるんだから、基本的に食べても毒はないのだろうと思って、チロっと果肉を舐めてみた。

シブいのなんのって、あまりオススメはできない。

さて口を割らないクチナシの実は、やはりその鮮やかな色で鳥たちに美味しそうだとアピールするのだと思う。

さらに僕が舐めてシブかった果肉部分はジューシーで鳥たちにとってはご馳走なのかもしれない。

そうやって鳥たちに実とともにタネを食べてもらって、種子散布をしているものと思われる。

いやー、今日も勉強になっちゃったなぁ。