2015年12月29日火曜日

温暖化 沖縄化


植物とまったく関係ありませんが、沖縄にきております。

暖かいです。

ハイビスカス、ブーゲンビリア、ガジュマル、プルメリアなどなど東京ではなかなか今の時期お目に掛かれないような植物で溢れております。

温暖化が騒がれる昨今、東京の沖縄化というのも間違いなくあるな、と。

そんなことを感じる沖縄滞在であります。

2015年12月25日金曜日

必死のディフェンス


都内某所。

ミカンの木にミカンがたわわになっていた。

そしてそのミカンの木にはネットが掛けられていた。

普通こういうのは鳥たちから実を守るために施すのだと思うけど、その割にはネットは木の下の部分、つまり人間の手が届きそうな場所を集中的にガードしていて、肝心のてっぺん部分はオープンになっていた。

これは鳥から実を守るのではなく、別の何かから実を守るためにやっていると容易に想像される。

別の何かとは・・・。

それは木に七夕の短冊のようにぶら下げられているメッセージから推し量ることができる。

「このみかんはまだ食べごろではありせん」
「新年に卒業生が見にきます。採らないでください。」

これは明らかに人間に向けたメッセージ。

すなわち往来を行く心なき通行人からミカンを守ろうとやっているわけだ。

しかしここまでしないとミカンはなくなってしまうのだろうか?

説得の仕方も、食べ頃でない=不味いから食べる意味はないですよ、あるいは卒業生が悲しむので採らないでと同情をさそう文面など、あの手この手を尽くした苦心のあとが伺われるのが興味深い。

どうか卒業生が見にくるまでなんとかもって欲しいと願わずにいられない。






2015年12月24日木曜日

美容柳??


花は咲いていないけどその独特の葉っぱから Hypericum であると分かった。

しかし、ご丁寧に傍らに立っていたラベルを見ると
ビヨウヤナギ
と書いてある。

ビヨウ?ヤナギ??

感じで書くと美容柳。

美容?柳??

学名も一応書いてあって
Hypericum monogynum

なんだ、やぱり Hypericum じゃないか。

Hypericum にも色んな発音の仕方があって、日本では「ヒペリカム」と表記・発音されることが多い。

イギリスでは「ハイペリカム」と言っていたなぁ。

まぁ発音はこれが正解ってのがないのでどうでもよろしい。

ただ気になるのはヒペリカムとはキンシバイではなかったか、ということ。

そこで調べてみるとキンシバイは Hypericum patulum という。

なーんだ、なんだかんだ言って結局 Hypericum じゃないの。

なんだかわざわざコトをややこしくして、難しくしてとっつきにくくしている感じがするゾ。

それにしても何で美容?柳なの??

美容とも柳ともまったく関係なさそうだけど。

あっ、これもひょっとして牧野博士の策略なのか??


2015年12月23日水曜日

雑草に学ぼう


ある雑誌の広告が気になった。

勝った者が強いのではない。
生き残った者が強い。

弱者の戦略 
人生後半の生き方を「雑草」に学ぶ

戦わずして勝つ
逆境を味方につける
小さな成功を繰り返す

・・・どうです?
なんだかとっても含蓄のあるフレーズが並んでいてビックリしませんか。

確かに雑草から学ぶことはたくさんありそうな気がするなぁ。

2015年12月22日火曜日

やるせなし


なんだかこの現場の話が続いて申し訳ない。

大意はない。

でもなんとなく書かずにいられないのだ。

やはり浅黒く日焼けした彫りの深い外国人がケヤキの切り株にワイヤーをかけてパワーショベルで引っこ抜こうとしていた。

しかしこれだけの大木になれば、その程度で簡単に抜根できるはずもない。

結局周辺を掘り取ってこのケヤキを撤去しようという作戦に切り替えた模様。

掘れるところはいいが、ケヤキの根の半分はコンクリート敷きの下だ。

この作業を終始見ていたわけではないのでどのように決着したのかは分からない。

休憩時間にくつろぐ彼らの前には「モノ」「ゴミ」と化したケヤキの残骸が・・・。

なんともやるせない。



2015年12月20日日曜日

サクラ逝く


この前のつづき。

重機によってなぎ倒された木々。

その中で一本だけ、ソメイヨシノだけが手付かずで残っていた。

大きな剪定痕があるのは今回の件とはまったく別の時期に行われたもの。

日本人はサクラ好きだから難を逃れたのかと思っていた。

・・・・ところが数日後、魔の手はこのサクラにも迫った。

結局一日がかりでこのサクラは輪切りにされてトラックで運ばれていった。

なんら敬意も払わず、と憤慨していたもののそれもそのはず、作業に従事していたのは彫りの深い外国人だった。

東南アジアか南米か。

そんな感じ。

彼らにとっては良心の呵責とかまったく関係なさそうだ。

ということで師走のさなか寒々しい光景を目にしてしまった。

2015年12月17日木曜日

バチあたり


マンション建設予定地にて。

大きくて立派なケヤキがアッという間になくなってしまった。

何か新しいものを建てるのに、そこにある樹木が犠牲になるというのはよくある話。

残念だけど。

でもやるなら敬意を込めてやっていただきたい。

場合によっては御祓いをしたり、お神酒を捧げたり、塩で清めたりするでしょ。

この現場はそんなの全くなかったものなぁ。

伐採の跡を見たって、これじゃ伐採ではなく破壊でしょ。

バチが当たると思うなぁ。


2015年12月15日火曜日

消火栓


都内某所のとあるパン屋さんの前にはちょっと立派なウルシの木が生えていた。

ビルとビルの隙間から往来に向かってニョキっと。

恐らく鳥がタネを運んできたのだろう。

へー、と思って通り過ぎようとしたとき!

ビルの横にあった消火栓を見て驚いた。

良く見ていただきたい。

この消火栓のフタの部分のひとつが完全にこのウルシの幹に食い込んでいたのだ。

これではどうしたってフタは開かない、木を伐らない限りは。

消防署の行う消防点検だってあるだろうに。

それでもこうやってあるってことは消防法では「アリ」なんでしょうかね。

ギッチリ

ガッチリ

2015年12月13日日曜日

ハボタン生産現場


クリスマス、正月も目前。

どういうわけかこの時期よく売れるのがハボタン。

真冬で花が少ない時期に「葉っぱでみせる」植物だからだろうか。

まぁいったん植えればトウが立つまで放っておいて問題ないだろう。

そんなローメンテナンスなところが良いのかもしれない。

あれだけのハボタンが出回るということは、それだけどこかで作っているということ。

一体どんなところで、どんなふうに作られているのか・・・と思っていたら、このまえ偶然にハボタンの生産現場を目撃した。

ズラーっとハボタンが並んでいるけど茶雲したいのはその根元。

植木鉢に入っているのだけど、それがコンクリの上ではなく農地、土のうえに置かれている。

たぶん植木鉢の底の穴から根が出て、大地にそれが伸びているのだろう。

それを出荷前に切る・・・。

違うだろうか?

地植えしたものだと、掘りあげて鉢に入れる手間が面倒だ。

だから最初から苗が小さいころから植木鉢に植えているのではないだろうか?

以上、すべて僕の想像。

実際はどうなんだろう?

気になるねぇ。


2015年12月12日土曜日

収穫


手入れ仕事の合間にフト足元を見ると・・・・

カエデの実がたくさん落ちていた。

そうそう、植物についての講座をするときに受講生の方々に実際にカエデのタネを飛ばしてもらっている。

そのために近所を散歩するついでにタネを拾って集めてストックしていたのだった。

それが手入れ仕事をいいことに目の前にカエデの木にたわわになった実が取り放題。

こんなチャンスを逃す手はないでしょ。

ここぞとばかりに「収穫」してきました。

しめしめ、役得よの~。


2015年12月11日金曜日

ツルヒメソバ


こんなピンクのポンポン見かけませんか?

ああ、そういうえばというむきも多いのでは。

これはヒメツルソバ Polygonum capitatum というタデ科の強健な植物であります。

強健というのは、踏まれたりする物理的なストレスにも強いし、乾燥、寒さなどの環境的なストレスにも強いということ。

加えて繁殖力も旺盛なので、いろんなところで見かけるというわけ。

この形と色がカワイイような、そうでもないような。

なんともビミョーな存在がツルヒメソバなんだと思われます。

自分から進んでこれを植えたいか?と問われれば否かなぁ・・・・

2015年12月10日木曜日

冬の作業

切り戻し前

切り戻し後

師走であります。

今の時期、植木屋さんはまさに書き入れ時。

どのお宅もお庭をきれいにしてお正月を迎えたいという気持ちがあるのだろう。

庭の年末大掃除みたいなもんだろうか。

なので植木屋さんは年末は休み返上で働き、年明けにはパタっと暇になるというのは伝統的なパターンであります。

ところが植木屋さんのスタイルも多様化し、庭を持っている人の価値観やライフスタイルも多様化した結果、最近はこの伝統的なパターンも少しづつ形骸化してきているように思う。

って訳ではないけど、僕もこの前とあるお宅に呼ばれて庭仕事をしてきた。

でもこれはいわゆる植木屋さんの庭仕事というよりは、もっと細かい園芸仕事といったところ。

多年草、球根類など、今の時期は休眠期を前に衰えてきている。

そこでそれらを切り戻してやるというのはこの時期の仕事。

こういう細かい仕事は大好きで、飽きることがない。

そしてやったらやっただけ見た目に結果が分かるのが嬉しくもある。

切り戻した状態で冬を越して、ちょっと暖かくなった春先にちゃぁんと新たに芽を吹いて応えてくれのがなんとも嬉しいものだ。

今まさに冬の作業をやる時期。

切り戻し前

切り戻し後

2015年12月9日水曜日

不惑




冬の庭の手入れ。

萎えたギボウシの葉を切り戻し、周辺にサクサクとシャベルで切れ込みを入れて持ち上げる。

これが一株の大きさなので、結構大きい。

であれば、これを割って「株分け」を行えば、ひとつがふたつ、ふたつがよっつ・・・。

元手はタダでどんどん増やすことができるのだ。

こういう園芸基礎テクニックはすべて英国で身に付けたものだけど、不思議なものでいちど身に付けると忘れることはない。

常に迷わずサクサクとシャベルを土に差し込める自分がちょっと不思議な感じもする。

2015年12月8日火曜日

ちょっとクレイジーな12月


12月。

早いもので今年も残り3週間少々。

スーパーマーケットでは正月飾りが売られているし、本屋では確定申告の本がズラッと並んでいる。

恐ろしい。

今年はなんでも暖冬なんだそうだけど、今日なんかは底冷えがして堪えた。

でも確かに都内の黄葉・紅葉は例年よりも確実に遅い気がするし、なんというかメリハリがない感じがする。

この前散歩していたらば元気なランタナを見つけたよ。

ランタナといえば暑さに滅法強い花ということではあるけど、冷え込むようになった12月でもご覧のとおり元気。

下り坂の元気ではなくて、まだまだ花のつぼみがきていることからも上り坂の元気のように見受けられる。

いったいどうなっているのだ??


2015年12月6日日曜日

ごぼうの漬物


ブログを放棄したわけではありません。

この数日間は本当に忙しくてアップアップでした。

まだ全てが終わったわけではないので、まだまだ予断は許しませんが。

今日は日曜でしたが、たまに伺っているおばあさんのお庭であれこれと作業をしていました。

もう終わりかけたギボウシを切り戻し、堀上げて移植したり。

いわゆる植木屋さんの手入れ仕事ではなく、100%園芸仕事といった感じで楽しいのだけどいかんせん時間がない。

ツライ。

雑草も抜いたりして、ほどほどの疲労感で帰宅したのでありました。

そして夕食時に食卓にあがったのは・・・・

「何?これ?」

家人に問うと「ごぼうのお漬物」だそうです。

ごぼうの割りに細い場所を使っているせいか、今日散々引っこ抜いてきた雑草の根のような気がしてあまり箸が進まなかったなぁ。

2015年12月2日水曜日

ぶっこめ!?


とあるスーパーにて。

切花が売られていた。

そこには「切花を長持ちさせる水あげ方法」というパネルがあった。

水あげ、とは茎の中に水を吸い上げる管があるが、茎が切られてしまうことでその管に空気が入り込んだりして水をうまく吸い上げなくなってしまうことへの対応法のひとつ。

茎を切るときは空気が入り込まないように水の中で切ると良いなんて言われているのもそのため。

このパネルを読んでいて、なるほど、というかホントか?と思うことが書いてあったのだ。

「水を張った容器に勢いよくお花を入れます。投げ入れるくらい勢いよく入れた方が、お花がビックリして水が上がりやすいのです。」

ホントか?

仮にその方が水の吸い上げが良いにしたって、その理由は「お花がビックリして・・・」ではないような気がするのだけど、本当だろうか。

この件に明るい方がいらしたらご意見を伺いたく。

あっ、因みにお店の人の許可を頂いて写真をとりました。


2015年12月1日火曜日

狭小菜園のシソ


昨日ご紹介した狭小都会家庭菜園にあったのはアブラナ科だけではなかった。

幅20センチ程度の花壇にはパンジーが植えれていて、さらにその先にこんもりと繁っていたのは・・・、シソだった。



こういうシソが家にあると本当に重宝する。

そうめんを食べるときに、「ああ、ここにちょっとだけシソがあれば・・・」と思うことがある。

そうめんをちょっとだけ食べるのにわざわざスーパーで鮮度の怪しい葉っぱ数枚100円少々のシソを買うよりは、必要なときの必要なだけ新鮮なシソを庭先からつまんでくることができたなら、それはかなりの贅沢ではないだろうか。

でもこのシソは昨日書いたように往来にさらされているので、食卓にそのまま上げることには若干の躊躇いがある。

でも見る限りは健全なシソだし、立派に花なんかも咲いている。

食うべきか、食わざるべきか、それが問題だ。